自堕落日記

気ままに思ったことをつらつらと書く備忘録的なアレ

236話について書き散らした。

 236話ショックについて未だに整理がつかないのでその件について思うこと。
 私の推しは結構死ぬし未練たらたらで引きずりまくってる連中が大多数だからこういう展開に慣れてるはずなのにどうしてこんなに引っかかるのかなーと考えてみた。以下思い当たる理由の箇条書きとそれに対するあれこれ。

 の前に念のため折りたたみ。私は否定的というか、嘘でしょ……(絶句)っていう感じで読んだ人なのでこれはこれで報われて良いのではなかろうか派からぶん殴られること間違いなしだから。怖いのやーやーなの。

 

 

 

 

 


 ①未来よりも過去を選んでいる
 これ歴代推しの中だとえめぴも「私の愛した過去ではない」つって星海に還っていったし、別に空港組にもやもやする理由じゃないよなーって思ってたのだけどえめぴは今を生きる人たちや星の未来は守った上で還ってったんだよなと。何だったら辛そうな表情をしているヒカセンのメンタルケアまでしてる。生きる為の目的として宿題を出して、更に発破までかけてんだよね。ついでに愛した過去を取り戻す為に精神すり減らしながら歩いてきたわけじゃん。自我崩壊して手段と目的逆転してるラハブレアと、記憶欠けまくって座の役割という使命だけしか残っていないエリディブス目にしてて。残された三人のうち正気なの自分だけって状態で、それでも親友ふたりとまた過ごすこと諦めてないのよね。そうやって突き進んでる道中に自分のこと綺麗さっぱり忘れ去った親友が邪魔してくるんだから、その心労たるやって感じじゃん。で、あいつとは違うヒカセンはあの太陽じゃないって理解してるのに名前明かして本気でぶつかって、結果道を譲ったし発破かけてヒカセンがしっかり自分を見つめ返したのを確認してから還ってんのよね。

 翻って空港組見てみると、皆過去を選んでるのはそうなんだけど今を生きる人たちのケア誰一人としてしてないんだな。五条は復活説とかあるけどあの心理描写見ると本人の認識としては宿儺に殺されました、だし。これから復活するとしてもあれが五条の本音という事実は変わらなくて、そうすると後見人してた伏黒も自分が生かしていた乙骨と虎杖も、何だったら家入さんまで「まあ良いか」なんだなって。いや良くないが? 何も解決してないが? っていう。
 七海もなんか私の言葉で虎杖くんが生きてるのでおっけーですって雰囲気でいるけど、虎杖そんなテンションで受け取ってないし何だったら虎杖のメンタルケアして戦える状態まで立て直したのは七海じゃなくて東堂だよね。ナナミンの分まで苦しむよっていう虎杖を知った上でアレならヤバい通り越してエグい。まさかとは思いますが生かすってただ呼吸するだけを指してるわけじゃないですよね? ってなる。
 過去と未来のどちらに重きを置くかなんて人それぞれだし、愛した過去を取り戻したいとかあの頃に戻りたいって気持ちがあるのはわかる。でも未来と、そこに繋がる現在に対しての落とし前の付け方が雑。やりきった感出してるけど何もやりきってないじゃんね。ガーデニング発言よりそっちの方が私は信じられないんですよね。嘘でしょってなる。

 ②死後の世界グロすぎ
 歴代推しがどうこうじゃなくてこれ。エモいじゃなくてグロい。何がグロいって死後の世界のが平和で幸福そうなのがグロい。死んだ後まで苦しめというのかっていう反論見かけるけど、それもう全員死んで空港行けば良くないですかっていう感想がまじそれな状態。わざわざ描写する必要なくないですかね。あれ見たら死闘を繰り広げている現世組って無駄なことしてんなってなりませんかね。私は思いました。全員で天国行ったらハッピーエンドじゃないのって。
 死後の世界が極楽っていうのを否定したいわけではなくて、作品の世界観や現世の地獄絵図との対比がえげつないことになってるのがもやもやの理由なのかなと。死別した親友と満たされた世界で再会できて良かったねって聞こえは良いけどシンプルに言えば死んで良かったね、なのもグロい。自分は生きてる状態で死んだ人に会えるっていうのはFF10であったけど、あの作品では15歳の女の子が思い出は優しいから甘えちゃ駄目って言ってたぞ。それ以外だと例の踏切があるね。自分が会いたいと願ったばかりに咀嚼音混じりの絶叫聞く羽目になって、以降どれだけ念じても踏切の向こうには現れないことで現実を知るっていう結末になりますが。
 私はたとえ苦しむことになっても癒えない傷を抱えていくことになっても生きていてほしいタイプなので死んで良かったね状態のこれはちょっと受け入れられない。

 ③大人とは……?
 生きるのってしんどいし辛いし疲れるし嫌なこと悲しいことばっかだし報われることの方が少ないし散々だけど、それだけじゃないじゃん。忘れられない思い出は嫌なことばかりですか? って聞かれたら、そんなことはないじゃん。どうすれば良いのかわからなくて、何が正解か見当もつかない状況で、それでも悩んで考えて迷って自分なりに最善だと思う選択をして、結果後悔することがあって。失敗して挫折して、それでも明日が今日より良い日になるようにって生きていくわけじゃん。そんな風にくねくねした道を歩いてて、その中であれは良かったなとかこの気持ちは大切だなとか。そうやって進んでいった結果が大人、なんだと思うのよ。小さな絶望の積み重ねだけでは大人になれないよ、だって辛いもん。それこそ大人になる前に空港行きたくなるでしょ。
 クレヨンしんちゃんのオトナ帝国でひろしが泣いてたのはそれも理由のひとつだと思ってて。戻りたいあの頃に戻るということは、そうやって歩いてきた道をすべて捨てるってことと同義じゃないですか。抱えたまま戻ることは出来ないんだよ。沢山の失敗と挫折と、時々見つけた大切と、何より悩んで考えて迷って選択しながらそこまで歩いてきた自分すべて捨てるって、あまりにも捨てられるものたちが可哀想。必死に進んだ先で、お前の選択も気持ちも全部要らないって自分自身から突きつけられるのって残酷すぎるよね。大人が背負ってるものの中で一番大きいのは、それまで一生懸命生きてきた自分自身だと思うから。何の躊躇いもなく捨てられたそれまでの彼らがあまりにも痛ましくて絶句したよね。

「余の決断、余につき従った臣下達の生き様の果てに行きついた結末であるならば、その滅びは必定だ。
 悼みもしよう。涙も流そう。だが決して悔やみはしない」
 聖杯問答での征服王が言った通りなんよー。全部抱えて背負って生きていくのが責任であり礼儀であり誠意なんよ。その対象が自分自身でも変わらないじゃんね。南へ行くことで置き去りにされてしまう、“それからの彼ら”は何を思うんだろうって。そんな選択をする為に生きてきてたんかな。それなら、進まずに“そこ”で終わらせてしまっていた方がずっとずっと幸福だったんじゃないかなって。

 ばーーーーっと思いつく限りで書いてみたけど、やっぱり私はあの話を肯定的に見れそうにないなってことしかわからんかった。五条はまだしも夏油と七海はもう挽回無理だと思うからこの評価が覆ることはないだろうなー。
 好きなキャラだったから本当に残念。日車さんもメンタル的にはこっち寄りだろうし、もう残る希望はお兄ちゃんと東堂しかいないや……。