自堕落日記

気ままに思ったことをつらつらと書く備忘録的なアレ

あこがれ。

 SNSを見ていて劣等感を抱くということは無いけれど、「この人は普段どんな人なんだろうか、もっと知りたい」と思うことはある。時折とても興味を惹かれる人を見かけると、何とも形容しがたい気持ちに囚われる。インターネットは簡単に海を超えるし、国も超えるのよね。海外の人って自分が絶対に持っていない価値観を持ってるから更に興味深く感じてしまう。とはいえ興味を持つだけでそれ以上何かをすることもない。何だかんだで私はこの狭い自室に引きこもっているのが好きだし、知りたいのであって別段関わりたいとは思っていないから。

 ぼくの関心も興味も、突き詰めていくとどこまでも自己の内面にしか向いていなくて。結局のところその「知りたい」という気持ちだって、ただただ「知りたい」だけなんだよ。だから知ってしまったらそこで満足する。知的好奇心と言うと何だか大層なものに感じるかもしれないけど、一番近い概念はそれなんだろうな。今までの人生で築いてきた人間関係を振り返ってみても、その人が持つ価値観だとか感情だとかを知りたいとは思ってきた。でもそれ以外のことは思ったことがないような気がする。その人と過ごす時間だとか、経験する出来事には一切の興味が持てない。誰かと何かを共有したいとはまったく思えないんだよね。

 それでもって、こうやってブログに思ったことを書き殴ってはいるしSNSも普通に投稿したりはするんだけど……誰かに自分を知ってほしいとか、誰かに見てほしいとかそんな風には考えられない。むしろ注目されると居心地が悪くなるタイプだから、以前投稿した青空や象が肌に合わなかったんだろうし。人が少なすぎるということは個々の存在が大きくなるということで、それだけ目立ってしまう。それが嫌だったんだ、多分。

 

 学生時代に私が書く文章を気に入った小説家志望のやつがいたんだけど、そいつが文章を書く理由は自己顕示欲だと言っていた。自分の書いた文章を人に読んでほしい、そう思うんだって。何だかよくわからないなって思ったし、今もよくわかってない。習慣として日記を書いてきた弊害なのか、自分の書いた文章を誰かに見せるという発想はなかった。何度か二次創作に挑戦してみたし、その中には私の書いた文章を読みやすくて好きだと言ってくれる方もいて嬉しいと感じたこともあった。でも、書いたものを誰かに見せたいと思うほどのものではなかった。ので、結局公開していた創作物は全部消してしまいました、ははは。

 未だに感性を褒められることは多くて、本当に嬉しいと思ってる。だけど、活かせない性格というか性質というか、それを合わせて持ってしまっているので正直これ無意味じゃない? って気持ちは常々あったりしてて。何とか打開策を模索している最中。実際に見つけられる自信はまったくと言って良いほど無い。恐らく私はこのまま何者にもなれないし、その感性を活かすことも出来ないくせにそれによってもたらされる短所は真正面から受け止めて向き合って生きていくことになるんだろうなって。そしてその予想に対して特段悔しいとか嫌だとも思ってなくて。まあ、そうよねとしか思えないところが、少しだけ寂しい。

 

 時々薄情だと言われることがあるんだけど(ちなみにどこらへんが薄情なのか、自分ではいまいち分かっていない)その薄情っぷりはどうやら他者だけじゃなくて自分にも適用されてるんだなーと。自分の内面を見つめ続けているっていうのに、自分のことにもそれ以上の興味は持ててないとかどんだけとかね。どうしてこんな人間になってしまったのか、いくつか理由を推察することは出来るけど確かなことはわからない。明確に自分の中で何かが変化したと自覚できた記憶もないしね。

 だからこそ、SNSで興味を惹かれる人たちに憧れるのだと思う。何かを発信して、誰かに見てもらいたいと思うそれ自体に。投稿したそれらを楽しいと思えているその気持自体に、憧れてる。私が持ってるそれがあまりにも頼りないものだから。この先自分が手にする可能性が、限りなく低いものだから。

 

 まあ、実際に自分がそうなれるよ! っていう機会が訪れたとしても、私のことだから多分そこまで積極的に変化しようとは思わないだろうな。薄情で持った資質をどぶに捨ててる今の自分が、実はそこまで嫌いじゃないからね。